昨夜の岡田斗司夫×苫米地英人の対談を観て
14歳の女の子から二人に「才能とは何か?」という質問があった。
内容は過激だけど、笑いながら話しています(笑)
苫米地さんの才能は具体的なことを抽象化することだと言っていた。
ニュース記事や本を何行か読んでいるうちに相手の思惑が読めて、さらに別な角度から確かめる、検証する。
100何ページある記事の数行を読んだだけで、仮説を立ててそれが大体事実と照らし合わせた時に合っていることが多い。
岡田さんが「その才能で損だったことってありますか?」と訊いた
苫米地さんは「昔は周りが馬鹿だと気づくのに時間が掛かった」と
馬鹿ってのは=「ただの人」
苫米地「多くの人はこの抽象化を放棄していると、続けると…ただの人になってしまう。
ただの人っていうのは、言動や行動に創意工夫がなく抽象化がない。そして嫌なことは出来れば逃げて、誰にでもできることしかやらない人間だと」
苫米地「放棄しているって所がポイントで誰にでもできるはずのことをやってないから、悪口になっても、そう言われても仕方のないことだ。」
苫米地「俺以外の人も抽象化好きで当たり前にやっていると思っていた」それが弱点だった
岡田「宮崎駿がなんで俺みたいにアニメ描けないんだ!こうすれば1日パネル40枚くらいかけるだろ!!」そんなもん描けるかぁー!!(笑)
苫米地「いやw俺は怒って言わないからw」
なんでこんなに分りやすく1本にまとめているのに、それでも分からない奴、反対するやつがいるんだ!
岡田さん:それは「損得勘定、感情的反発、それまで生きてきた価値観に合わないから?」
苫米地「損得勘定、価値観は抽象化は下げる行為だから、情動だから。そうするとドンドン地面に近づいて動物的になるから抽象化は無理!」
苫米地「損得勘定をやめる、情動を切り離す。無くすのではない、情動は髪の毛みたいなもんで、髪の毛は21世紀にはあんまり必要のないもの、でも染めたり切ったり伸ばしたり、更には職業にだってある。お前の職業馬鹿だ!とは言わないでしょ?娯楽って言ったり芸術って言ったり、必要不可欠なものじゃなくて、それなりに社会で機能しているもの」
苫米地「昔は恐怖があるから危険が避けられたわけ、
体験的恐怖、遺伝的不安とか恐怖ってあるけど、今それが無くたって我々セシウムは危ないって分かるわけだ『セシウムを食ってみなきゃ危ないか分からない!』じゃダメでしょ(笑)
論理的に危険だって分かるでしょ?(笑)論理的に認識する時代」
岡田「じゃあ昔からの情動がなくなって人間的から非人間的になっているという人もいるけれど実は今の文明社会ってのはあんまり情動を必要としていないと」
苫米地「うん、必要としていないけどわざわざ楽しむという一歩卒業した社会になっていると
だからホラー映画観に行くでしょ?(笑)それを馬鹿だと言わないでしょ?何お前怖がりにいってんだ!って」
岡田「中世の暗黒時代にそんな所行く人いないですよねww怖いもの見たかったら森に行け!」
情動が遊びになった。
苫米地「情動が遊びじゃなくて囚われてしまうことがIQを下げる道」
岡田「遊び道具に自分の価値観とか将来設計とかを乗せちゃう」
情動を切り離す、抽象化をするってどうやったらできるの?
苫米地「日本人はディベートが下手くそ本人をボロクソに言ってる訳じゃなくて、その意見を反対しているんだ。日本のディベート論理と人格は別物だってことを知るためにディベートしてみるのはいいと思うよ。それでうまく情動を切り離すって感覚がわかると」
岡田「中学とか高校とかでやっている所ありますよね、でもディベートとか抽象化する奴っていけすかない奴が多くないですか?(笑)」
苫米地「それは教えている教師がいけすかないやつなの(笑)」
岡田「ディベートとか抽象化が激しくなると苫米地さんみたいないいけすかない奴にならないですかね?(笑)」
苫米地「いやいやw大丈夫大丈夫、使い分ければいいからディベートにはディベート、ディベートしない人には愛で対応すると」
岡田「じゃあ女の人口説く時にどうしてるんですか?」
苫米地「口説かないよ、口説くって説得するってことでしょ?」
岡田「もうこの話しやめましょう、面白く無い!(笑)」
あっははははっはははっはw
ー終了ー
自分が特に気になった所を書いてみました。結構雑ですが勘弁してください。
苫米地さんも岡田さんもおもしろいですよね〜