リメンバー・ジ・アナ回 ~ノーバディズ・パーフェクト~

 

山田玲司ヤングサンデー第37回「ニイマリコのBL白熱教室」が先週ついに放送された。これを機に自分のBL観を改めて考えた話しと、おっくんとニイマリコさんの白熱したやりとりが物議を醸した回でもあったので、そのことについて後半に書くことにした。

 

まずは筆者のBL観について

僕もニイマリコさんと似たような入り方だった。当時小5の僕は、古本屋に並んでるNARUTOのアンソロジーを立ち読みしたことがきっかけで、BLというジャンルを知ることになる。今でもはっきりと覚えているが「カカシのマスクが取れている!?」「こりゃどういうこっちゃ?絵も違うぞ!?」と興味津々で購入した。

その後はネットで読んだり友達に借りていたので、本格的なストーリー性のあるBL作品を自分で買って読むという体験はしないまま大人になる。

そんなある日に出会ったのが、雲田はるこ先生の『いとしの猫っ毛』という北海道を舞台にした作品だった。二人の幼馴染が、小樽市で育ち上京してから二人で暮らす日常が描かれる。なので道産子の僕にはとても入りやすかった。前回の放送でもチラっと名前が上がった、BL界で有名な"かねじゅん"こと金田淳子さんが、ニコ生やライムスター宇多丸さんのラジオで、この作品を紹介していたのがきかっけである。

そんな経緯で今でも楽しく読んでいる。また大抵の場合は「もうなんにも考えたくない」と、思うくらい心が弱っている時に読むとなぜか癒やされてしまうのだ。

そこで、なぜ癒やされるのか?考えてみると現実の世界には、こんなに綺麗な人は存在せず、その外見の美しさもさることながら生き様まで格好良く、ドラマチックなのだ。そして、BLの世界には漫画でしか表現できない、純粋な愛に奮闘する姿が描かれているから、男である自分も除外され不幸な自分を忘れさせてくれるので、素直に作品を楽しめるのだ。

ここで紹介したいのが志磨遼平の『屑・フロム・ヘル』もう10年も前のブログになる。魔神英雄伝ワタルを描いた志磨少年は、ワタルの顔が女の子っぽく描けてしまった為に「自分は美男子好きなんだ」ということが発覚するエピソードを書いている。思わずニヤニヤしてしまうイイ話しである(笑)

 

さて、ここからは前回の放送の感想と分析を書いていこうと思う。

ニイマリコさんのクロニクル(BLとの出会い)からはじまり、女性側の視点からBLを語っていた。「男女の恋愛にすると、女性が夢を捨ててついて行きます。」という対等な関係ではないものを純愛として描かれやすい。そうじゃなくてBLは男同士なので、一緒に夢を追っていく対等な関係性が作られるので良いと語っていた。

僕は目からうろこな話しで面白かったのだが、そんな話しをしている最中にずっと気になるのが「社会性」のあるテーマで、つまり女性の私は「女性らしくしろ」を押し付けられて生きてきたと語る部分に、何か不穏なものを感じていた。

そこにおっくんが「男女の越えられない壁があるから、生まれるコンテンツだろう。」

とか「女性の視点からだけで読み解くのは、作品の本質がつかみにくくない?」など、いつものおっくんらしいツッコミを入れていたのだが…。漫画の話しよりもフェミニズムなどの方向にどんどん火がついて行ってしまったのだ。

それまで視聴者も何らかの“フラストレーション”が溜まっていたのだろう。次第に荒れはじめ、番組の行方が迷走気味になっていることに対するコメントや、「おっくん派」「ニイマリコ派」に分かれて、激論が交わされていったのである。

たしかに近頃では、男女が「生まれてきた性別にそって」生きることを強制する世の中ではない方向に動いていると思う。それが、日本では「渋谷区がパートナーシップ証明」を導入し、同性愛者でも婚姻と同じ程度のパートナー関係である証明を取ることが可能になったり、米国では2015年6月末に、同性婚が全州で合法化されたことなどに現れてる。もう少しやわらかい話しでいくと、僕みたいに男でもBLを読んだり、性別に問わず様々なファッションに身を包んだり、日常生活ではもはや「男らしく」「女らしく」などが自由になってきている。しかし、社会にはまだ馴染みの薄い、新しい価値観だから浸透するまでに時間はかかりそうだ。

 

では、どういう風に白熱してしまいがちな、社会性がチラつく問題を見ていけばいいのか?岡田斗司夫さんのメルマガに書いてあったことを使って考えてみたい。

                                  ※一部抜粋

「同性愛って、単なる特殊性癖じゃないの?」という質問に対して、「趣味の問題なのか、脳の回路の違いなのかはよく分からない。しかし僕らの趣味嗜好や生き方は、どれくらい変えれるものなんだろう?」

「人様からからやめればいい、と言われても実はやめられないものがある。お酒、博打、まっすぐな生き様、損得勘定をついしてしまうとか。その辺のことでも僕らはやめられないので、人のことに口出ししてもしょうがないと思う。」

しかし世の中、世間はそうは考えてくれない。「それは間違ってる」とか「みんなこういう風にしようよ」というのが僕らの社会である。そうすると、個人として自由であり続けようとすれば社会的では無くなってしまう。

そこで岡田さんが考えたのは「反社会的」と「非社会的」の違い。

・反社会的…社会に対して、自分の生き方を通そうとし社会を壊そうとすること。

・非社会的…社会に対して、自分の生き方をこっそり通し、社会なんか関係がないよとすること。

非社会的であることは構わない。でも往々にして、非社会的であることは自分の正しさを証明しようとして、反社会的になりがちだ。

なので、僕らはせいぜい反社会的にならないくらいに止めておくのが今できることかな。

 

前回の放送を思い返してみると、反社会的な問題が見え隠れしたことに僕や視聴者は勘付いて、反発が起こった。それゆえに、番組本来のおもしろさが感じづらかったのではないかと思う。

山田玲司ヤングサンデーは、反社会的な番組ではなく自分の生き方を周りの人間と協調し合いながら、こっそり世の中に通して生き残っていこうと教えてくれる番組であり、時代に取り残されがちなコンテンツを取り上げて、じっくり考えたり、新しい見方を育てる場所でもある。

なので、社会性のあるテーマだけで見るのではなく、BLの世界を一つの漫画のジャンルとして、視聴者が興味を持つ為には、一体何が必要なのか?どこが面白いのか?を課題であった『Jの総て』『同級生』などを使いながら解説して欲しかったのだ。

番組の最後では、コメントで「もう見返さない」や「面白くなかった」などの意見も多く、それぞれが放送後、後味の悪い気分になったのではないかと思う。アナ回(中2ナイトニッポンvol.7)の時に玲司先生が「菊の御紋さん」からの「腐女子は完治しますか?」という質問に対しての回答がなかなか良くて、その話しの延長線に「ニイマリコのBL白熱教室」があって、玲司先生の分析をフリップで説明してくれたら、より分かりやすくつながったのではないかと思う。

それでも、BLに対して新しい発見があり、面白かったことには変わりなくて、同性同士で様々な困難と対峙した末に最期は「愛」で救えるのか?問題や、受けと攻めは「愛したい」と「愛されたい」に置き換えられること、これは作者と読者の関係にも似てるのかなと思ったり…。そして僕自身もそういった「当たり前のこと」に縛られる価値観が嫌いでロックを好きになり、漫画も好きになってきた人生だったので、すごく心に刺さる回であった。

 

 

最後に『Jの総て』に出てくる、マリリン・モンロー出演作の『お熱いのがお好き』のラストシーンの話しをさせてほしい。

映画『お熱いのがお好き』1959年 (ネタバレあるよ! byハマムラ・イッセイ)

舞台は禁酒法時代のシカゴ、マフィアの殺害現場を目撃してしまった演奏者のジョーと相棒のジェリーは、マフィアの手から逃れるために女装をして、女性だけの楽団に紛れ込むことになる。そこでウクレレと歌手を担当するシュガー(マリリン・モンロー)と出会う。一行を乗せた列車はフロリダ州のマイアミのホテルに着き、女装していたジェリーはホテルに居た大富豪の船乗り、オスグッド3世から求婚されてしまう。

そんな生活を送っている間に、ホテルではシカゴに居たマフィアとそのボスの組織が集会を開こうとしていたのである…。

またもやマフィアから逃げなくてはいけないジョーとジェリーは、オスグッド3世の用意したボートに乗り込み、シュガーと一緒に4人で島から脱出することになるのだ。そこで交わされる最後の会話が…

 

ジェリー「オスグッド、本当のことを話すわ。私たち結婚できないの」

オスグッド「なぜだい?」

ジェリー「本物の金髪じゃないのよ」

オスグッド「気にしないよ」

ジェリー「タバコも吸うのよ」

オスグッド「気にしないさ」

~中略~

ジェリー「わからないのね、オスグッド…俺は男なんだよ!!(カツラを脱ぎ捨てて)」

オスグッド「…完璧な人間なんていないさ(ニコッ)」

-THE END-

 

『Jの総て』からこのオチまで、完璧な人間はいないかもしれない。しかし、物語と人間が存在しないと、こんなにキレイに話しがつながることもないだろう。

 

 Nobody's Perfect 

 

この言葉に尽きる山田玲司ヤングサンデー第37回「ニイマリコのBL白熱教室」でした。

 

 

ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございます。またね!

自分問題を越えた先は今よりずっと面白い

山田玲司ヤングサンデー第28回 1周年記念ヒーロー特集ファイナル!『スーパースーパーブルーハーツ!〜メンヘラ時代を生き残れスペシャル!!〜』が9/23に放送されました。今回は番組にいつも観てくれてる会員さんの観覧が入った放送でした、そんなこともあってか玲司先生はじめおっくんもシミちゃんもいつもとは少し違う雰囲気が感じられました。

ch.nicovideo.jp

『スーパースーパーブルーハーツ』という玲司先生の最新巻が18日に発売されて、今回はその立ち上げの話しから、9月の放送の一つのテーマでもあった"ヒーローとはなんだろう?"シリーズと観覧に来ていた人の質問など今までの集大成の様な内容になってました。僕はたまたま仕事が早く終わったので嬉しいことに久しぶりに生放送で観ることができました。コメントも沢山打って、おそらく100回以上は送信して2〜3回拾われてたんですけど、視聴者に徹してたのであまりハッキリとなんのコメントをしたのかはコメントできません(笑)

今回はラスト30分における観覧者(この番組の会員さん)の質問にグッときました。人とコミュニケーションを取るときの方法やメンヘラとメンヘラじゃない人の差、そして世代論問題はどうしたらいいのか?などの質問が出てたように思います。質問した方は20代くらいなんでしょうね、親の問題や年上の人とどう付き合っていけばいいのか?それらの質問は現代の若者なら大なり小なり抱えているもので、僕の知り合いや同級生らにもたまに相談される内容と同じものでした。そして僕自身が考えていることとも似ています。

僕はいろんな問題を少しばかり早く多く体験してしまったので、いつの間にか「自分問題」を乗り越えてしまいました。それもこの番組が始まって今まで考えてきたことと玲司先生らの話すことを照らし合わせて「間違ってないな、この方法で良いんだ」と何ヶ月も掛けてようやく辿り着いたという感じがしています。数年前までは、世の中の酷いニュースやネットのノイズ、情報化社会から情報社会になるまでの過渡期に生まれる前世代との価値観のズレなどによって自分というものが引き裂かれそうになっていました。スマフォを見ればいつも誰かが怒っていて社会問題が蠢き、他人の幸せな気持ちを見ては自分が情けなくなるという悪循環を起こしたりもしていました。そこに若者ならではの経験不足からくる不安が合わさり、どうにも行き場のない気持ちに苦しむことになっていました。

そういったノイズで混乱した頭をこの番組では「日本はみんなメンヘラ、心が壊れそうなのは、マトモだからでしょ!」と何度も言ってきてます。玲司先生は僕らのQにちゃんとAしてくれています。きっとこの番組を観ている人たちの中には「今何が起こってるんだ?」「どうしたらいいの?」と考えている人が多く居るんだと思います。その考えて考えて行き詰った自分があるから玲司先生の出す答えに納得することができるんだなと改めて感じさせてくれる第28回の放送でした。

さて、そうは言っても実際に言われたことをやるのは難しいと思いますよね。でもそんな時は焦らず好きな漫画読んで、映画観て、友達と話して、1回寝て忘れましょう(笑)これもヤンサンが僕らに教えてくれたことですね。そうしていつの間にか時間が経つと出来るようになってたり、また玲司先生が新しいひらめきをヤンサンで説明してくれてるかもしれません。それはもちろんヤンサンのみならず、至る所にあるのでぜひ自分なりの旅をして下さい。僕は不安を落ち着かせたい時は行動することが一番良いと思うんですけど、そればっかりじゃしんどい上に若さゆえに出来なことも沢山あります。そんな時は「これでいいのだ」と思って、好きなことをしてればいいんです。また次に大事な話しを聞くためにも"マジメな自分を休憩する"期間は必要ですよね。 

 

それでは、また次回!

『セッション』ちょこっと『バードマン』

お待たせしました。第87回アカデミー賞(2015)に選ばれ話題になった『セッション』について書きたいと思います。『セッション』は3部門(助演男優、編集、録音)の受賞となっています。

約2ヶ月前にこの作品について激しく論争が行われたのをご存知の方も多いのではないでしょうか?映画評論家の町山智浩氏とジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏が数日に渡ってお互いのブログ上で『セッション』について語っているものです。

【詳細まとめ】映画「セッション」論争『菊地成孔vs町山智浩』 #tama954 #denpa954 - NAVER まとめ

その後山田玲司ヤングサンデーのブロマガ第30号でも話題に上がり、どちらにとっても大切な存在で映画と音楽を大いに愛している人たちなんだけど、オレの女をバカにされて黙ってる訳にはいかない!という様なことからここまで大きくなってしまったのではないかと書いていて、僕もそれに納得したんですが後日更新された菊池さんのブログで「菊池はジャズを愛し、町山は映画を愛してる」という分かりやすい雑なマッチメイクは悪質だと、私は映画も愛してますよ。ということを書いてました。玲司先生のブロマガで納得した僕はまた振り出しに戻された気分になりました…(笑)

今の御時世では炎上のきっかけになりそうな極端な発言は控える傾向にあり、また「クソリプ」というTwitter上でフォローしてない人などからのどうでもいいアドバイス(クソバイス)を受けたりする可能性がある中で、今回の様に町山さんと菊池さんがこんなにも長く論争をするとは珍しい感じがします。なので見習える部分も大いにあると思いました。

では『セッション』とはどういう映画なのか?これから観る人の為に少し紹介します。なんと言ってもインパクトがあるのはあの怖い顔の教師フレッチャー」この人どこかで見たことないですか?2002〜07年版『スパイダーマン』の主人公ピーターがスパイダーマンの写真を売り込む新聞社デイリービューグル誌の編集長役をやったJ・K・シモンズという役者さんです。『スパイダーマン』でもコメディ感のある切れキャラを演じていたので、なんとなくJ・K・シモンズ=いつも怒ってる人のイメージがではないかと思います。そして主人公のアンドリュー、ジャズドラマーを志し音楽学校に通う生徒…なんですが、監督のデイミアン・チャゼルは高校の頃に主人公と同じくジャズドラマーを志していてフレッチャーの様な恐怖で支配するタイプの教師に教わる中で結果として音楽をやめてしまうことになるんです。そしてその後映画業界に入って行き今回の映画を撮ることになると…。

主人公に自分を投影させた復讐の映画になっているんですね。なので本編ではアンドリューはしこたま傷ついて行きます。練習して手から血が出たり、ドラムセットをYOSHIKIばり壊してみたり、二階堂ふみ似の恋人?と別れてみたり…。そんなボロボロの状態でラストは自分を持ち上げといて落としたフレッチャーを舞台から叩き落とさんという具合に激しいドラミングでフレッチャーの筋肉と眼力と罵声に立ち向かうわけです。

そんな内容の映画なので「音楽映画じゃない」と各方面から言われても仕方のないことなんですが、ぼくの楽しみ方はそこまで上品なものではなくて

例えばフレッチャーがアンドリューを自分の超優秀バンドに誘うとき、全然ヘタクソレベルのアンドリューに甘い言葉をかけて調子に乗らせたり、アンドリューと同じクラスのジャイアン的存在のムキムキ君(ライアン)を突然フレッチャーがバンドに呼んでドラムは今日からライアンが叩くからお前は来なくていい。と言ってみたり、とにかく自尊心を削るような嫌がらせをやります。これが実にリアリティがあるんですが、おそらく監督が青春の時期に同じような嫌がらせを受け心底疲れていたんだと思います。

そんな泥臭いシーンや監督が撮影当時28歳で現在30歳の若さは僕らにしてみると希望で、音楽で嫌な目をみて再起し映画を撮ることで昇華しているというのも素晴らしいことに思えるのです。

というのか音楽に僕も一度挫折し映画に救われ、音楽の学校に行ってた頃同じような教師に「才能ないなら練習しろ」という様なことを言われた経験があるので監督と同じような怒りもあるし、今だに音楽に救われる(自分が何か音楽を作って)ことが無いのでこれには共感せざるを得ない。音楽はハッピー!という結末に行きがちな映画の中で「音楽って本当は辛くて厳しい、自分といくら向き合っても人を感動させるには及ばず、でも美しくてかっこいいんだ、まだ僕も救われてないんだけど…。」という全体に流れる監督の想いと復讐というパワーは若い僕の心には最高の癒やしになるんです。

 『バードマン』は音楽が9割ジャズ・ドラムによるものなんですが、演奏していたアントニオ・サンチェスさんも日経新聞“若者がスポ根ものとして観るには良いけど…”と書いています。http://matome.naver.jp/odai/2143011442130302501/2143020348712222603

菊池さんも『バードマン』は音楽も映画も褒めているのでこっちは映画としては大丈夫そうですね。僕も観ましたが斬新な映像と音楽と今のハリウッドの背景をテーマにしたブラックユーモアに完全にやられました。サントラも買っちゃうくらいです。

 『セッション』で長くなってしまったので、『バードマン』についてはこの辺で、レンタルされたらこの2つの作品を見比べてみるのもオススメです。2つともアカデミー賞受賞作ですが全然テイストの違う映画になっていて面白いです。ではまた次回!